‘10.05.26
もうだめだ本当に限界だ。月末のTOEICは受けない。
だれかが悪いのではなくて、自分が悪いんだ。人と上手くできないのも、この環境に居ようと以前判断した自分のせいだ。いびつな学習をしたことを、誰が責められようか。でも僕が苦しいのは間違えようのない真実だ。
いや、もしかすると個別的な問題においては、誰かが悪いのかも知れないし、僕は悪くないのかもしれない。実際は、悪なんて相対的なものをここで用いることは適切じゃない。一歩下がって感じるのは、僕はこっけいで世間知らずだってこと。それは今耐え抜いたから改善されるわけでもない。あまりにも血に由来するものである。
「敵を選べ。なぜならこちらも敵に似てくる」という言い回しですら、敵を選ぶ自由意志を感じずにはいられない。敵を選ぶ自由はとりもなおさず、敵を超越するための目標設定としての「敵」である。しかし果たして敵は、超越するための目標設定として主体的に用意されるものだろうか。敵は作られる性質が強いように感じられる。自身の野性的な面から勝手に作られるものこそが、人生において本質的な敵になり得るのでは無かろうか。つまり、カラマーゾフが敵なのだ。
イワンは自身の血によって、どんなに辛くても生きてゆけるのだろうけど、僕の場合はあいにく、そういった生に肯定的な側面すら持ち合わせていない。ミーチェのように激しく思い、イワンのように憎むことがせいぜいなんだと思う。強いて肯定すれば、それが美しくないとするミーチェ的感性を、それこそ人並みに持ち合わせていること位なんだと思う。
僕はTOEICを受けない。8月末の試験に「必死」に間に合わせて、それでも受からなかったり心変わりしなかったら、潔く死のうと思う。僕のように多少人に貢献できても、自分が望むことに対して有害無益な人間として生きるくらいなら、自分の手でとどめを刺すくらいの意志を持ちたい。その後も少しも望んだ良さをもたらさずに生きていくことだけは、本当に耐え難い。