‘10.05.25
順調でない日々が続く。5月のモチベーションは4月の半分くらいだろう。
なにか努力しようとするたびに、形而上学的な問題が立ちはだかって不調になる。これは僕がそういう悪癖を放置してきたからだろうか。まず、このように日記を書こうとすること自体が、そういった問題のまっただ中にあるためなのだ。
人は過去に起きたことについて、基本的に蓋然性を十割だとして扱う。それでは未来の出来事については予知し得ないだけで、やはり蓋然性が十割として決定づけられた世界があるのか。おそらくここで、どう判断する(気持ちになる)かが、実際的な問題において非常に重要だと考えられる。
それとも、パブロフの犬のような人生がこういった問題を招くのだろうか。
人が変われるのは18~25くらいまでだと一般に言われている。この年齢が何故かは知らないが、僕はつぎのように考えている。偏見ができあがり、かつ「内省的」に自己を作り替えていくフレームが完成するのがこの時期である。ある程度の論理的一貫性の重要さを理解した年齢以降、「内省的」自己の改善を可能とするが、しかしこれは偏見によって範囲を固定化される。つまり、ちょうどゆで卵が固まりつつあるときに、その内側はどう変わろうと、黄身と白身の配置に限られる。この年代で真に必要とされるのは、殻を打ち破って中身を外に出す能力である。少しでも穴が空けば良し。
人も虫と同じように脱皮するはずである。否、しなければならない、と僕は考える。是が非でも変態しなければならない。僕は、今年これができないならいっそ死んでしまいたい。
黄身は固まりつつある。考えるだけで気が沈む。